「宅舞〜踊ってみた」文化から見る中国オタクカルチャーの発展と現在

ようこそ、ナビゲーターの岸嶺ミミムです。今回は、ちょうど先日微信 weixinで、大変興味深く分析されたあるコラムを見つけましたので、こちら紹介したいと思います。

この記事は中国の記事『宅舞,正在成为时代的眼泪』(作者Lushark)を翻訳したものです。(元記事:https://mp.weixin.qq.com/s/ez330T_-ZoozU-cOzVOJSw)宅舞(オタクの踊り)、日本でいう『踊ってみた』文化の変化について非常に素晴らしい記事がありましたので紹介したいと思います。

「宅舞〜踊ってみた」文化から見る中国オタクカルチャーの発展と現在

『踊ってみた』は変わってしまった

―ビジネスでの成功も『踊ってみた文化』の衰退を隠しえない。

ビリビリ動画の『舞踏区』(踊ってみたエリア)は企業アカウントに占領されつつあります。中国通信キャリア『聯通』をはじめ、多くの企業のビリビリ公式アカウントが踊ってみた動画で企業と若い世代との距離を詰めようとしているのです。『宅舞』は企業アカウント運営における成功の秘訣として認知され、他のタグでは見られない企業アカウントが大半を占める特殊な状況となっています。

―なぜ舞踏エリアが企業の突破口となったのか?

大部分の人は知らないかもしれませんが、ビリビリユーザーの創作コンテンツの代表として認知されていた『宅舞』ですが、現在ではビリビリで最も人気のない創作形式の一つとなっています。

その他のユーザー自作コンテンツの投稿数は朝を迎えると999+と表示されています。舞踏区と鬼畜区(訳者注1)だけは投稿数が少ないため、公式アカウントに付け入る隙を見せてしまったのかもしれません。

過去10年来、『宅舞』は無から有、コアファンから一般化の発展を遂げ、多くの人の生活を変えたといってもいいでしょう。しかし知らず知らずのうちに、終わりを告げようとしています。

『宅舞』は日本起源。これは正しくも正確とは言い難い

2008年頃、当時まだ誕生したばかりの日本弾幕動画サイト『ニコニコ動画』に自分のダンス動画をアップする人たちが現れました。彼らは動画に『踊ってみた』のタグをつけました。彼らの制作した動画はまさにこのタグのように、ダンスというより、音楽に合わせて体を動かしたようなもので、ラジオ体操にも劣るようなものがありました。

このような動画も統一感が全くないわけではなく、演者はサングラスやマスク、或いは被り物をし、多くはアニソンを使用しており、非常にサブカル的な物でした。そのうち少しずつ一つのジャンルとして確立し、今の言葉でいう『非常に二次元的』なコンテンツとなります。

これらの演者も多くはアニメのダンスシーンから振り付けを考えていました。アニメの制作の都合上、アニメキャラクターのダンスシーンは簡単で反復しており、動作も誇張気味で、ぎこちないとはいえ、一つの形として模倣されていたのです。

コナン8番目のOP『恋はスリル、ショック、サスペンス』のパラパラは代表的

有名な2007年秋葉原のフラッシュモブ、最後は警察の登場というオチがついた

そんな中、『涼宮ハルヒの憂鬱』のダンス『ハレ晴レユカイ』は踊ってみたを新しいレベルに押し上げ、文化的現象にまで引き上げます。

『大勢で踊ってみた』(団舞)は動画の中で如何にダンサーがぎこちなく踊っていたとしても、現実に踊れるものでした。『踊ってみた』動画の投稿はますます増え、その後一部のネットユーザーが自分で振り付けをした同人作品、例えば『チルノのパーフェクトさんすう教室』や『やらないか』等が登場しますが、まだまだダンスは全体的に低いレベルのものでした。

ACG(注2)文化自身の旺盛な生命力によって、この荒廃した時代は長くは続きませんでした。ニコニコ動画を見ている方ならご存じの通り、ニコニコの初期発展には初音ミクというVocaloidと密接な関係があります。Vocaloidの解放された版権政策によって、多くの一般人やセミプロがVocaloidで音楽創作に身を投じ、多くがニコニコ動画で自身の作品を公開しました。Vocaloid関連の作品もニコニココミュニティーの重要な構成要素となったのです。

米津玄師はニコニコ動画でVocaloidを制作していたアーティスト

野生のプログラマー『樋口優(ハンドル名)』が開発した『ブラックテクノロジー』MMD(MikuMikuDance)はユーザーが既存のモデルを使って初音ミクに振り付けをできるというものです。これにより全く音楽が分からないネットユーザーも初音ミクの同人作品の創作に携われるようになりました。

MMD初期で最も素晴らしいと認知されている『星間飛行』

MMD創作と『踊ってみた』は互いに影響し合い、一気に発展していきます。例えば『愛川こずえ』のような演者も搭乗しました。彼女の『Luka Luka Night Fever』は素晴らしい振り付けにより『ニコニコの宝』と呼ばれ、何回もデイリークリックランキングの一位になり、『踊ってみた』タグはFeverしていきます。

『宅舞』の原点といわれている『初音ミク』のダンス

そしてついに『初音ミク‐Project DIVA‐』が登場します。

これは今ではいたって普通の音ゲーで、プレイヤーはリズムに合わせて対応するキーを入力することで、画面上のバーチャル歌姫が踊るというものです。しかし当時これは初音ミクを主人公に据えた初めてのゲームで、ファンは初音ミクがまるで本当のアイドルのように様々な楽曲を歌い、踊ることを見る事ができたのです。

もちろん、ゲームではMMDを使っているわけではなく、モーションキャプチャーと微細な調整を行っており、単純なファンが作れる代物ではありませんでした。ですがこのゲームの振り付けが『踊ってみた』の方向性を決め、より簡単で覚えやすいかわいい基本動作の組み合わせを提供したことによって、その後の踊ってみた製作者にテンプレートとインスピレーションを提供したのです。

その後声優となった小倉唯は本作でモーションキャプチャーモデルを担当

本作の力によって、『踊ってみた』タグにはゲームのコピーダンスや改良ダンスをアップするうぷ主が増え、ただ適当に踊っただけでなく、本当の『ダンス』に変化していきました。

中国ユーザーへの影響

ニコニコの成長は中国のユーザーにも影響を与えます。一部の中国ユーザーは言語の壁を越えてより多くの人に自分の好きな動画を伝えたく、ニコニコの踊ってみた動画をダウンロードして中国国内の『土豆』や『優酷』といった動画プラットフォームに転載します。そして当時まだ人気絶頂にあった『人人網』(訳者注3)やまだ設立されたばかりの『ACFAN』(訳者注4)等で宣伝し、最初の『搬運党』(運搬党、訳者注5)となりました。ただ、当時『運搬』されたのは主にアニメやバラエティ番組、ドラマなどの映像で、『踊ってみた』はまだまだ無名でした。

2008年に『馬琴(まこと)』といううぷ主がニコニコで一本目の踊ってみた動画をアップしました。踊ったのは『マクロスF』のヒロインの一人、ランカ・リーの『星間飛行』です。

馬琴はジャズダンスの基礎があったことと、このダンスの萌ポイントを再現しました。しかしダンスより注目を浴びたのは彼女が被った馬の被り物でした。

かわいい服装と馬の被り物の巨大なギャップ

当時の視聴者は、このギャグにまみれた女の子が日本に始まり中国の宅舞文化に大きな影響を与える事になるとは思ってもみなかったでしょう。

投稿された初期の馬琴はその他のうぷ主と同じように、主にアニメやプロジェクトディーバのダンスを踊っていました。そこに『化物語』が放送されます。

新しい世代のアニメファンはこの作品が当時どれだけヒットしたかわからないかもしれませんが、きっと花澤香菜の歌う『恋愛サーキュレーション』は聞いたことあるでしょう。何度も繰り返し歌い継がれている楽曲は当時本当に大人気でした。21世紀のアニメの中で『化物語』の円盤販売数1位は十年ほど揺るぎませんでした。

自分の20歳の誕生日のその日、馬琴はオリジナル振り付けの『恋愛サーキュレーション』踊ってみた動画を投稿しました。

一つの新しい時代の幕開けとなった『恋愛サーキュレーション』の踊ってみた動画

このダンスはニコニコ動画では本当にインパクトを引き起こしました。多くの踊ってみた投稿者はプロジェクトディーバを踊っていたため、大人気アニメの楽曲のオリジナル振り付けダンスは非常に新鮮だったといえるでしょう。また、この動画はニコニコでは数少ないオリジナルダンスでした。馬琴が所属するダンスグループのリーダーが振り付けをしたダンスの完成度は、プロジェクトディーバと遜色のないものでした。

馬琴の『恋愛サーキュレーション』はすぐに百万回再生を超え、当時の再生数は『伝説』とも言えます。その他の踊ってみたうぷ主もこのダンスを踊るようになり、ニコニコトップページの大半を占める事となります。

ダンスの成功はアニメ作品にもフィードバックされます。数年後『化物語』の続編『偽物語』では、主題歌『白金ディスコ』で同じ方向性のダンスが登場し、再度ブームになります。『白金ディスコ』も宅舞のクラシックになるのですが、それはまた別のお話。

しかし残念ながら、楽曲版権問題によって、馬琴の古い動画や多くの踊ってみた動画は一夜のうちに削除されてしまいます。しかしこの『恋愛サーキュレーション』の踊ってみたは海を越え、彼岸の我が国で『宅舞文化』の火種となったのです。

バーチャル歌姫の楽曲に比べ、人声の『恋愛サーキュレーション』はより強い伝播性を持ち、オタクという枠組みを超えて国内の『宅舞文化』の啓蒙となりました。馬琴以外の鼻血姫、足太、愛川等のニコニコ動画の人気踊り手も、中国国内でファンが増えていったのです。

当時最も流行った馬琴、鼻血姫、愛川、神竜姫(まころん)の踊ってみたを一つに組み合わせた動画

日本ではまだ「踊ってみた」に特別な名称、例えば中国における『宅舞』のような固有名詞や概念は形成されたことはなかったのですが、運搬者たちはより多くの人に知ってもらうために、様々な名前を付けました。『宅舞』という呼び方が定着する前は、『萌舞』というのがより一般的でした。萌萌な女の子が踊っているから『萌舞』。わかりやすいですよね。

百度フォーラムの萌舞スレッドは2011年にやっとできた

国内に運搬される動画が増えるにつれ、男性の踊り手も多いこと、さらに女性うぷ主も萌だけではないということに気づきます。大部分の作品は室内撮影で、作品もACGの雰囲気に満ちていることから、『宅舞』という2つの意味が重なった固有名詞が認知されたのでしょう。

こうやって、日本では緩やかな、固定名詞も持たない小さな範囲での活動が、中国国内で急速に独自のコミュニティを形成するに至ります。各イベントでは『恋愛サーキュレーション』を踊る人が増え(訳者注6)ます。また動画プラットフォームでも、『晩香玉』、『CHIRORO』、『咬人猫』など中国の『宅舞』投稿者が現れます。視聴者側も、独自の『宅舞』に対する判断基準を設けはじめ、なにをもって『宅舞』とするか、どのようにすればよい『宅舞演者』となるか討論するようになりました。

スタートは遅かったかもしれませんが、始めるハードルが低く、舞台映えするため、『宅舞』はコスプレ、アニソン歌唱のように、中国のACG文化活動において大きな位置を占めるようになりました。その後『Love Live!』のコピーダンスの流行は中国『宅舞』の発展を促しました。

宅舞黄金時代

『恋愛サーキュレーション』が流行した後の数年、日本でも中国でも宅舞は黄金時代に入ったといえるでしょう。

2010年にニコニコが開催したオフラインイベントにて、『踊ってみた』を単独で取り上げた『D@NCE M@STER』を開催しました。11万人が来場し、その後は毎年開催されるようになります。

『D@NCE M@STER』はこの界隈の最高の舞台だった。

うぷ主の間の交流も増え、様々なサークルが立ち上がり、人気を博したダンス作品も沢山出てきました。

一部のうぷ主がメジャーデビューし、次のステージへと進んだのです。

鼻血姫(いとくとら)、愛川こずえ、ミンカ・リー等が結成したDANCEROID、このステージ衣装は多くの宅舞界隈の人に好かれた

うぷ主はオフラインに、そしてアーティストがインターネットに乗ったとも言えます。

そしてこの年、アイドル出身の『水橋舞』が人生で初めてのグループ解散を経て、全て0からということで、『Maria』という名でカバー歌唱動画を出し、それによってとある作曲家と知り合います。その後この2人は『GRANiDELiA』を結成します。

表現の基礎がしっかりしている水橋舞はニコニコの歌ってみたタグで一定の人気を得て、『音楽うぷ主』として活躍します。しかし2年後、突然思い立った彼女は自分の楽曲『Girls』に振り付けを行い、『踊ってみた』を投稿します。

水橋舞はみうめ、217と共に『Girls』を踊ってみた

また『プロの仕業』となったわけです。

服装、撮影などの要素やダンサーのステージ演技力を抜いても、このダンスの振り付けは他のアマチュア動画に大きな差をつけ、ニコニコ動画新時代のマイルストーンとなりました。

水橋舞はニコニコ動画の踊ってみた動画の一つの基準となり、彼女は毎年一本はブームになる動画を出しました。2016年、彼女は例年通り新しい動画-『極楽浄土』を投稿します。

『極楽浄土』は服装から振り付けまで、吉原花魁などの日本要素が満載で、今までのセクシー路線とはまた大きく違い独創的だったこともあり、以前より大きな反響を得ました。

『胡蝶ステップ(チャールストン)』はこのダンスの一番の見どころ

この頃、中国の宅舞界隈も成熟しつつあり、多くの踊り手の追従により、『極楽浄土』の人気は日本と同じ、或いはそれ以上でした。極楽浄土は『毒曲』としてカバー歌唱、カバーダンス動画が大量に出回り、ACFANとビリビリ両方のサイトでトップを占めました。

『極楽浄土』は日中共に『踊ってみた』と『宅舞』を新しいレベルに引き上げ、さらに広く認知されるようになりましたが、長年蓄積された矛盾を水面上に浮かび上がらせてしまいます。

宅舞とはなんだったのか

皆さんも気付いたように、この一世を風靡したダンスの方向性は以前認知されていた『宅舞』とは大きく異なり、どちらかというと、日韓系ポップダンスのようなものでした。

初期に宅舞に接触していたファンはこのような発展は臨んだものではなく、ACFANとビリビリ(以下、AB)のユーザーは当初韓国ダンスグループのダンスをアップすることを拒絶していました。彼らからすると、これらはACG文化を離れ、セクシー路線のものであり、『宅』舞ではないからです。

結局のところ『簡単で学びやすい』と定義された宅舞のハードルは低く、また上限も低く、視聴者はすぐに飽きてしまい、演者が少しこだわってしまうと自然と大衆化、専門化してしまうということです。

日本で『宅舞』という概念は形成されていなかったので、こういう問題は怒らなかったよう思います。しかし全体的なレベルが上がっていくにつれて、ふりつけはどんどん複雑化していき、演者の化粧、衣装、撮影、編集は次第にこだわりがあるようになりました。昔マスクをつけて、自分の家でWebカメラで撮影していた『踊ってみた』ではなくなってしまったのです。

新人からすれば、この状態を見ればなかなか新規参入する勇気を持てず、さらに昔からの配信者も、ダンスや表現力の基礎がなければ、すぐに自分の限界に気づきます。さらに重要なのは、日本のうぷ主はどんどんこだわりを強くしていくのですが、決して期待通りの反応を得られなくなっていったことです。

更にニコニコの成長も鈍化していました。よりよいビジネスモデルを模索しきれていなかったのです。コミュニティの衰退はユーザーの流出となります。うぷ主がビジネス化を追い求めるのは当然のことで、多くのうぷ主はYoutubeに流れました。その対価はニコニコで積み重ねてきたコミュニティを失うことでした。オフライン化した踊り手は、日本で発達したリアルアイドル産業においても優位を保てず、中途半端な中で生存せざるを得ず、最も成功したと考えられるDANCEROIDも5年後に解散します。

馬琴が結成したグループ『FNSD』がバラエティ番組で紹介された際も、踊ってみた(宅舞)ではなく少女時代の『GEE』のダンスをしていた

このような状態は2015年のD@NCE M@STERの終了時には既に露見していました。水橋舞の登場は界隈に強心剤を打ち込んだという見方もできるかと思います。しかし水橋本人もその後ソニーと契約して再度デビューした後も、『極楽浄土』に引っ張られて、逆に当時と同じような成功をなすことはできませんでした。

2021年に『遊戯研究者』(本稿の出元)で、『踊ってみた』の栄光は衰退したと回顧しました。ニコニコ上の関連投稿は現在では毎日20、30個です。今年ニコニコ超会議の踊ってみたに参加したうぷ主のフォロワー数は4桁しかいません。

当時有名な踊り手、例えば足太、鼻血姫のようなうぷ主や依然ネットで活躍しています。馬琴等はすでにほかの分野に移転しています。

日本のゴールデンウィークで足太はニコニコ超会議に参加し、全国ドライブVlogerとなった馬琴は新しい旅動画を出している

これらの有名な踊り手に比べ、その他の無名のうぷ主の状況はさらに厳しいものです。

とあるうぷ主はアップした映像によってアイドルとして発掘されましたが、去年引退時にブログにて、自分はアイドルになりたいわけではなく、単純に踊るのがすきなこと。何の間違いかアイドルになってしまい、自分が不得意なことをすることになってしまった事を告白しています。

のらくら:「アイドルって職業、わたしすきじゃないな」

波が引き、騒がしい騒乱の後、平穏な人生に戻る人が大多数かもしれません。私たちの人生の甘くも苦いエピソードですが、当事者である踊り手本人達はファンのココロに流れた流星となったのです。

中国の現状

それと同時に宅舞は中国で最も盛んになりつつありました。中国の弾幕動画サイトでは舞踏エリアは最初は運搬が多かったのですが、少しずつ中国産動画も増え、現在ではほとんど海外の動画を発見するのが難しくなっています。

ビリビリ動画の勃興により、代表的なコミュニティ創作コンテンツとして、舞踏エリアはどんどん発展していきます。

ニコニコ動画の日本の踊り手に比べて、ビリビリの宅舞うぷ主はオンラインで企業案件を受ける機会があり、オフラインではアイドル業界がないため、のびのびと活動できるため、様々な商業イベントに出演しギャランティを稼ぐことができました。また人気がなくとも生配信で投げ銭をもらうこともでき、マネタイズの方法が豊富に存在しました。

利益を得ることに成功したトップうぷ主はどんどんプロ化し、普通のうぷ主もお小遣い稼ぎをすることが可能で、一部の古の配信者もマネージャーとして自身のチームを運営を始めます。しかしビジネス化成功も踊ってみた文化の衰退を隠しえないのです。

優秀な振り付けができないのが中国宅舞界隈の弱点でした。『彩虹節拍』や『芒種』のような中国オリジナル作品が強力な宣伝の元人気にはなりましたが、ニコニコ動画のカバーダンスが依然主流でした。『踊ってみた』が下火になると、中国の宅舞界隈も少しずつ振り付けの供給を断たれていきます。

現在ビリビリのダンスエリアでは2008年頃のニコニコと同じように、人気アニメ、例えば『呪術廻戦』のエンディングや『さくや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』の『書記ダンス』等のアニメ作品の既存ダンス素材を使ったものや、『新宝島 サカナクション』の創作ダンス(訳者注7)等に手を出しています。唯一大きな違いとしては、化粧、衣装、背景が豪華になり、より良い撮影機材と編集をしていることですが、これらは同じように新規参入者やダンスをしたいだけの投稿者にとって大きなハードルとなりつつあります。

投稿の内容がほとんど同じで、レベルも同等のものになった場合、サムネイルを見て判断するようになるのは自然の流れです。よって公式アカウントの運営がダンスエリアを占領する状態になっていったのです。

今ビリビリのダンスエリアでは投稿者が何を踊っているのかサムネイルからは判断できない

では中国の宅舞会話も当時のニコニコのようにオリジナルの波が来るのでしょうか?それは誰もわかりません。

終わりに

これまで宅舞を見下す人は少なくありませんでした。

多くの人からすれば、宅舞はエロであり、低俗であり、何らセンスも専門性もないもので、ダンスと呼べるものではありません。

アニメファンからすれば、現在の宅舞はすでにACG文化から離れており、『リア充』のオタク界隈への新しい侵攻にしか映っていません。

このような進退窮まる状況は宅舞に限りません。ボカロ、MAD、MMD…インターネットがどんどん賑やかになるにつれて、10年前に生き生きとしていた同人創作分野は日々衰退しています。それに比べると依然ある程度の人気がある宅舞界隈はまだ好運なのかもしれません。

もちろん楽観的に見ることもできます。『宅舞』はもともとインターネットの発展の一つの段階であり、美しい時代の特産物だったのですが、情報技術の発展と普及により、必然的に草の根からプロへと移行し、狭い世界から大衆へと流れていくものです。実際日中でも同じような状況でした。

今ビリビリのダンスエリアでは宅舞以外にもプロのダンスが増えています。ポップダンスから民族舞踏、クラシックからモダンまで。より多くのダンサーが交流しているとも言えます。

本当に『宅舞』が好きな人にとって、この10年あまりの積み重ねは大きな遺産となるでしょう。

自身の歴史的使命を終えた『宅舞』がある日『萌舞』と同じように名前さえ忘れ去られていくかもしれません。或いは『宅舞』という名だけを残し、全く違う形になって原型させもなくなってしまうかもしれません。

時代は前に進みます。誰も昔のように細い回線で細々と画質の荒い動画を見たいとは思わないでしょう。皆懐かしむのは初めてインターネットで千里も離れた同士に出会えた感動だけなのです。

終わり

訳者後付け

ここまで読んでいただきありがとうございます。

最初に明記した通り、本稿は中国の『遊戯研究社』というWechat公式アカウントが配信した記事を翻訳したものです。元記事(中国語)はこちらをご確認ください。(https://mp.weixin.qq.com/s/ez330T_-ZoozU-cOzVOJSw

個人的にニコニコの踊ってみたの歴史を深く書きつづったものを見たことがなかったので、本稿は大変興味深く拝読し、感銘を受けたので勝手ながら翻訳しました。

中国には2000年代に高校生、大学生だった人たちがニコニコや日本コンテンツの影響を大きく受け、今自身でそれを作り出している人たちがいます。本稿はその記憶の一つといえるでしょう。

本稿を読んだ皆さんが今後より中国のオタクを身近に感じてもらえれば幸いです。

注1)MAD動画のこと。
注2)Anime Comic Gameの頭文字をとったコンテンツ文化の中国における総称。他にも『二次元』ともいわれている。
注3)日本でいうFacebookやMixiの立ち位置にあるSNS。Facebookのパクリともいわれていた。現在はゲーム会社になっている。あれ、既視感が…。
注4)ビリビリ動画の元となった弾幕動画サイト。今では凋落しているが、根強いファンもいる。ビリビリファンとACFANのファンはよくケンカしている。
注5)党は人の集まりを示しており、ニコニコやツイッターなどの中国で見れないプラットフォーム上の動画、記事などを中国で見れるプラットフォームに転載する人たちの事を指す。基本的に良かれと思ってやってる人が多い。
注6)中国のコミケット系イベントではステージがあり、応募者が指定の時間にステージ上で歌ったり踊ったり演劇をすることができる。
注7)サカナクションの音楽に別のフィリピンのダンスグループのダンスを組み合わせたMAD動画をカバーダンスするという、カバーのカバーのカバーみたいな状況。

北京動卡動優文化傳媒有限公司
M.Y.Comic動漫遊戯節組織委員会

北京動卡動優文化傳媒有限公司有限会社(北京MYC)とは

2010年に設立されたアニメ・ゲーム専門の広告代理店の北京動卡動優文化傳媒有限公司有限会社(北京MYC)。中国のアニメ市場の消費力データを有し、アニメ・コミック・ゲーム(ACG)の分野で、中国市場を狙う企画から販売促進まで一連のサービスをワンストップで提供。2016年に日本支社(株)MYC Japanも設立。